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愛の遠距離恋愛 [コラム]

 遠距離恋愛の愛しさと切なさと心強さをキミは知っているだろうか。あれはそう、遠い昔のコトだった。愛し合う二人が離れ離れになるとゆーのは、随分古典的な離れ技なのだが現実問題、色々大変なのである。たとえば電信電話代。たとえば旅券交通費。たとえばフイに感じる激烈な不安。遠距離恋愛と称し極東の島国に在住するタフでハードボイルドでロックンロールで純朴な一個人をだまくらかして、地上観測衛星を含めた特殊撮影チームが刻一刻とその模様を中継し、高級サロンで貴族階級がセンベイ片手に愉快な思いをエンジョイ満喫しているのではないかというそんな、ありもしない不安に駆られるわけである。そんなワケは無いのだが全く無いとも言い切れない。離れた場所に在住の恋人を想う切なさとゆーのは、大体タワケたものであると相場が決まっているのである。仮にだ。もし隣にハニーベイベーが住んでいるからといっても、安心なんて出来ない。出来るはずがない。ジャニーズ系の米屋が、白い歯なんかキラッキラ輝かせて昼間っからハニーベイベーの家にあがりこみ「オレはマハラジャのVIP会員だぞ」とか何とかいいながら、何してるか分かったもんではない。そんな不確定性原理とは、量子力学における基本原理で物理量の組み合わせにおいて測定精度に上限があることを示すものだが、女の子ベイベーの運動量と位置を同時に測定することなどまず不可能である。そこでボーアが提唱したコペンハーゲン解釈によるとこうだ。「それはもともと決まっていないからだ」拡大解釈して意訳すれば、僕が同時刻現在もダーリンであるという保障など何もないわけである。まして相手の女の子ベイベーは「うちの電撃は宇宙一だっちゃ!」とか何とか問題のあるセリフを吐きながら、ろくでもない僕につきまとうなどといった、奇特な趣味は持ち合わせていないはずである。そんな不安と焦燥の鉄板の上で、こんがり焼かれたりもする。遠距離恋愛ともなれば、それはなおさらのことである。

 恋人を想う気持ちは離れれば離れるほどに増してゆく。「女の子ベイベー」をイコールとし「想い」掛ける「距離」の二乗とかそんな勢いで想いは募る。普段会えないハニーベイベーだからこそ。想いは募りまくるわけである。言ってみれば放置プレイに他ならない。想像の中で遠距離女の子ベイベーと過ごす日々を妄想し、めくるめく倒錯のパラダイスがウエルカム大歓迎ようこそここへクッククックー言いながら出番を待っていた。誰が青い鳥やねん。しかしながら、今度会ったらこんなデートをしよう。あんなコトをしよう。あまつさえそんなことまでしたい。隙あらば描写的に袋とじにしなければ表記できないそんなことまでやってみたい覚悟である。しばらく見ないウチに大変なことになってるワケである。歯と歯がぶつかる猛烈なキッスも悪くはないよ。そこいらが多分、遠距離恋愛の醍醐味ってヤツなんだろう。

 不確定な女の子ベイベーが、手を伸ばせば髪をなでられる位置で笑っていた。
「また、会おうね」

 コペンハーゲン解釈を前にして、かのアインシュタインは言った。もともと決まってないなんて、そんなことはないよ。決まってるんだけど人間にはそれが認識できないだけだ。僕らが出会ったのが運命だと言うのならば、そっちの方を信じてみたい。

 そして新幹線は、時速200キロで女の子ベイベーをさらって行った。

 ジャニーズ系の米屋は、新幹線の運転手に転職したんじゃないかと不安になった。

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